道北の鉄道
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開拓期から現代へレールつなぐ 士別~名寄間 鉄道開業120年
旅客、貨物輸送が減少し、国鉄が膨大な赤字を抱えていた中、1980年11月28日、国鉄再建法が成立し、12月27日から施行された。その中でローカル線の廃止が進められることになり、特に輸送密度が2000人未満の線区は85年度までに廃止する方針を打ち出した。
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開拓期から現代へレールつなぐ 士別~名寄間 鉄道開業120年
急行列車の運行開始や名寄駅のコンテナ基地設置など、旅客、貨物輸送ともに最盛期を迎えていたが、1970年代半ばを迎えると自動車が普及し、取り扱いが減少。鉄道輸送が斜陽化してきた。
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開拓期から現代へレールつなぐ 士別~名寄間 鉄道開業120年
レールバスやディーゼルカーが導入されたことに伴い、郊外には仮乗降場が相次いで開設され、沿線住民の利便性が向上した。その後も利便性アップの取り組みは続けられ、都市間輸送を主とした準急列車や急行列車が運行を開始し、所要時間の短縮が図られた。なお、準急は1966年3月5日に運行距離100km以上の列車が急行に格上げされ、100km未満も68年10月1日に急行となり、準急列車は全廃された。
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開拓期から現代へレールつなぐ 士別~名寄間 鉄道開業120年
1941年10月10日、深名線が深川から名寄まで全線開業したことに伴い、宗谷本線(旭川~稚内間)、名寄本線(名寄~遠軽間)と合わせて、東西南北に鉄道が伸びるようになった名寄駅。終戦直後の45年8月25日、稚泊連絡船(稚内~樺太・大泊間)が運航停止(事実上の廃止)したことに伴い、46年4月1日、札幌鉄道局稚内管理部は道北各線の管理条件が良い名寄に移転し、名寄管理部となった。
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開拓期から現代へレールつなぐ 士別~名寄間 鉄道開業120年
士別~名寄間のルート選定に紆余曲折もあったが、1903年(明治36年)9月3日、名寄駅が開業し、「鉄道のまち」として歩みを始めた。
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山と海の恵みを運んで内陸-日本海沿岸鉄道 留萌本線
JR留萌本線の石狩沼田~留萌間が2023年4月1日に廃止され、半年が経過した。鉄道としての使命を終えたことから、今後、駅舎やレールなどの撤去を控えている。
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開拓期から現代へレールつなぐ士別~名寄間 鉄道開業120年
北海道官設鉄道天塩線士別~名寄間は、現行の国道40号にほぼ沿っているルートだが、当初の計画では、下多寄を経由して名寄に至るルートだったことが、1967年4月発行の風連町史に記されている。
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開拓期から現代へレールつなぐ士別~名寄間 鉄道開業120年
まずは浜頓別経由で稚内まで到達した宗谷本線だが、幌延経由の沿線では着工を求めて陳情を続け、1916年(大正5年)から音威子府側で工事に着手した。
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開拓期から現代へレールつなぐ士別~名寄間 鉄道開業120年
1903年(明治36年)9月3日、北海道官設鉄道天塩線の士別~名寄間が開業。
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開拓期から現代へレールつなぐ士別~名寄間 鉄道開業120年
旭川から着工し、塩狩峠を越えて、士別まで開業した北海道官設鉄道天塩線。士別~名寄間の建設工事は1902年度(明治35年度)に入ってから着手した。