「任務成功は地域の皆さまのおかげ」 名寄でイラク派遣20周年記念講演会 第1次復興支援群長の番匠氏招く

【名寄】

第1次イラク復興支援群派遣20周年記念講演会が、13日午後4時からホテル藤花で開かれ、第1次イラク復興支援群長で、元陸上自衛隊西部方面総監の番匠幸一郎氏の講演を聴いた。
番匠氏は、1958年1月、鹿児島県生まれ。80年3月防衛大学校卒業。81年第30普通科連隊を皮切りに、91に第45普通科連隊中隊長。陸上幕僚監部防衛部防衛課、同運用課、中央資材隊付(米陸軍戦略大学)、陸上幕僚監部防衛部防衛課防衛班長から、2002年に第3普通科連隊長兼ねて名寄駐屯地司令、04年1月第1次イラク復興支援群長。
その後、陸上幕僚監部監理部総務課広報室長、西部方面総監部幕僚副長、陸上自衛隊幹部候補生学校長、陸上幕僚監部防衛部長、11年8月第33代第3師団長。第49代陸上幕僚副長、第35代西部方面総監を経て、15年8月勇退。
現在は丸紅株式会社輸送機グループ顧問、防衛大臣政策参与、国家安全保障局顧問、全日本銃剣道連盟会長。
参加者の拍手の中、入場した番匠氏は開口一番、「第二の故郷、名寄に帰ってくることができ、こんなにうれしいことはない。この講演のお話をいただいたとき、感動で涙が出そうだった」と感謝。
講演に入りイラク派遣の背景で、「20年前はヨーロッパでの戦争が終わり、中東が安全保障の中心となった。それを顕著にしたのが、9・11同時多発テロを引き起こした、アフガニスタンに拠点を置くテロ集団アルカイダだった。その後、イラクでも戦争が始まった。同時に日本では、戦後の復興支援なら協力できるのではないか―という検討が本格化し、03年7月に特措法が制定された」と説明。
その頃、番匠氏は、3普連の戦闘団訓練の検閲中で、「03年10月、演習場にいるとき、当時の河野芳久2師団長から、君にイラクに行ってもらうことになった―と電話があった」とし、その後、間もなく部隊編成や師団との調整などが本格化したと話した。
このときの心情として、「『やった』と思った。日本中が期待している仕事を、われわれにやらせてくれる。これほど名誉なことはなく、しっかり果たさねば―と思った」。
名寄駐屯地、2師団が第1波に選ばれたことについて「1番強く、即応性もあり、日本で一番レベルが高いからだったと私は思っている。部隊を海外に派遣するということは、相当に大変なこと。それをしっかり支えることができるのは2師団であり、その中でも3連隊だろうとわれわれに白羽の矢が立ったと思う」とした。
派遣部隊の編成に当たっては、部隊のほとんどの隊員が参加を熱望したとのことで、「一緒に行けない隊員に納得してもらうことの方がエネルギーを注いだ」とし、「オールスター名寄で人員をそろえたことが、仕事がつつがなくできた要因だと思う」とした。
隊員の服装のエピソードとして、中東を担当する世界中の部隊の服装は、砂漠の迷彩服を着るのがほとんどとし、小池百合子環境大臣(当時)から中東アラブで緑色は平和や希望、未来を意味するなどのアドバイスを基に、普段着用している緑色の戦闘服で任務に臨んだことも語った。
イラク派遣に臨む心の準備に触れ、「イラクではテロ攻撃が相次ぎ、決して油断できるものではなかった。われわれは何のために行くのか。なぜ規律が大事なのか。現地の人々と理解を深めるにはどうしたらよいのかなど、さまざまなことを話し合って備えた」とし、「この時、何がうれしかったかというと、皆さまが物心両面で応援してくれたこと。今は亡き吉田美枝子会長も、いつも母親のように私たちを見守ってくれた。何よりもわれわれの励みになり、心の安定につながった」と感謝。
イラク・サマーワでの活動について、宿営地の建設では1km四方の宿営地周辺に壕を掘り、外部から入ってこられないよう安全を確保したこと。気温50度にもなる厳しい気候、激しい砂嵐、チグリス川、ユーフラテス川の流域に位置することもあり、砂の下は粘土質で、スコールがあると辺りは池のように水が溜まってしまうことを説明。
支援活動について、医療支援、安全な飲料水の提供、道路、学校、橋梁など公共施設の復旧支援を展開したとし、「アラブ人は誇り高い人たちで、われわれも心を交わしながら支援することを心掛けた。これは普段の名寄での生活で身に付いたことを、そのまま行った」。
この他、現地での子どもたちとの交流や、ユーフラテス川にこいのぼりを掲げたことに触れ、「イラク派遣に当たって、地域の方々が隊員の活動を支えてくれた。これはその後の派遣に当たり、『名寄方式』として全国に広まった」とした。
また、2度にわたって宿営地に砲弾が飛んできたとし、「砲弾はかすりもせず、被害はなかった。しかし、ちょっと間違っていれば当たっていたかもしれない。これは皆さんの『無事でいてほしい』という祈りの力がバリアのように、われわれを守ってくれた。本当にそう思ったとしか言いようがないくらいの奇跡だった」と振り返った。
今後の名寄駐屯地や世界情勢にも触れ、日本は島国であるが、ロシア、朝鮮半島、台湾、中国に近接しているとし、「ロシアはいまだウクライナ侵攻を続けている。名寄駐屯地は日本最北の拠点として、これまでも、これからもその重要性は変わらない」と強調。
79カ国を対象に行った世界価値観調査を基に、「もし戦争になったら国のために戦うか」との設問に対し、日本は最下位であったとし、「戦争のことを考えなくてもよい平和な時代が長く続いているということもある。ただ日本周辺が厳しい情勢にある中で、国民が一体となって国防を考えるということがもう少しあっても良いと考える」。
名寄駐屯地隊員に向けて、「名寄駐屯地は全国の中でも、歴史と伝統ある駐屯地の一つ。その歴史は、地域の皆さんと一体となって育まれてきた。だからこそ、われわれは世界のどこに行っても恥ずかしくない仕事ができる。ここ(名寄駐屯地)でやっていることは、世界で通用すること。これからも自信を持って皆さんに頑張っていただきたい」とメッセージを送った。
なお、講演の様子は後日、名寄駐屯地公式SNSを通じて視聴できる。

イラク派遣を振り返り講演した番匠氏