地域と共に歩む名寄駐屯地 7

7 OB・OGの紹介2

小田薫(おだかおる)さん(66)は、大分県中津市の出身。
高校卒業後の 1976年陸上自衛隊入隊後、前期教育課程を別府駐屯地で修了後、同年11月、名寄駐屯地で後期教育を受け、77年3月、旭川の第9普通科連隊に95年までの18年間勤務した。
同年3月、名寄の第3普通科連隊に戻り、途中、業務隊を経て、2011年8月、同連隊で定年退職した。
名寄で迎えた最初の冬は、「零下30度の寒さなどで悲惨だった」ものの、スキーが好きだったこともあり、次第に冬を楽しむことができた。スキーは、1級取得後、部隊の「スキー指導官」の資格も取得。
自衛官時代の思い出として、厳しかったレンジャー訓練、第2師団の迫撃砲大会での優勝、退職後、予備自衛官の訓練で陸上幕僚本部を訪れ、幕僚長と面会できたことなどを挙げている。
退職後は、市立病院の施設管理係を経て、本年4月から名寄市の会計年度任用職員として、小型家電リサイクルの受付業務を行っている。
妻の由美子さんも、旭川駐屯地内の防衛庁共済組合に5年間勤務していた。
子供は3人。長男は士別市で、長女は名寄市で、それぞれ市職員として活躍している。趣味は、釣りとスキー。
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角百華(かどももか)さん(37)は宗谷管内豊富町の出身。
稚内商工高校を卒業後の2004年陸上自衛隊に入隊し、東千歳駐屯地で前期教育課程修了後に名寄駐屯地の第4高射特科群に赴任。同群の第318高射中隊を経て06年、任期満了により退職した。
結婚・出産を経て、民間企業に勤務。その後、20年に旭川地方協力本部道北地域援護センター名寄分室に、援護担当官として勤務している。
同センターでは、若年定年制や任期制で退職する自衛官の再就職や相談などの支援業務が中心で、「たくさんの人と知り合いになれて、とても、やりがいがある。今後も、この仕事を続けていきたい」と話す。
また、中途で転職などを考えている人に対しても、自身の経験や、ハローワークの利用方法など、さまざまな相談に応じている。
夫も第4高射特科群に所属する自衛官で、「名寄市は、夫婦の出身地の真ん中(豊富町と北広島市)であり、子育て環境も良く、知り合いも多い」ことから住宅を建てた。
今年から、(公社)隊友会の役員も務めている。
趣味は、ランニング、サウナ、お菓子づくり。夫と子供二人の4人家族。
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春田俊幸(はるたとしゆき)さん(58)は、鹿児島県種子島の出身。
地元の県立高校卒業後の1983年陸上自衛隊に入隊。前期教育課程を鹿児島県国分駐屯地で修了し、同年6月、名寄駐屯地に赴任した。
赴任後は、第3普通科連隊に30年、第52普通科連隊(旭川)に6年勤務し、2019年2月に定年退職した。
自衛官時代の思い出として、まず、「初めて名寄で迎えた冬の厳しさと新鮮さ」「2年目のレンジャー教育」を挙げる。
赴任後は、1任期(2年)での退職を考え、どうせ辞めるなら最も過酷な「レンジャー」を終えてからと思っていたが、結果として、レンジャー教育を修了できたことが、その後の自衛官としての自覚・自信に繋がった。
また、イラクへの復興支援も経験し、現地では、「想像していた以上に、戦争後の現場の悲惨さを目の当たりにした」。
旭川から名寄に戻った後の「補給小隊長」時代は、兵站業務(燃料・弾薬・糧食)である「後方支援」の重要さを、あらためて認識した。
退職後、19年4月から名寄市の会計年度任用職員として浄水場に勤務し、主に機器の監視や軽易な水質管理業務などを行っている。
出身の種子島で過ごした期間の倍以上を、名寄市で過ごしていることについて、自衛官時代や、現在の職場の方々、地域の多くの人に感謝の思いを伝える。
趣味は、バイクとパークゴルフ。
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大野裕幸(おおのひろゆき)さん(64)は士別市の出身。
高校卒業後の1977年、陸上自衛隊に入隊。教育課程は前期・後期とも名寄で修了後、名寄駐屯地の第3普通科連隊に配属された。以降、退職直前の業務隊を除けば、全て普通科連隊に勤務し、2013年3月に定年退職した。
自衛官時代の思い出としては、00年から約3年間、司令の副官(企業や官庁でいう秘書官)を務めたこと。
当時の高山治彦司令の日程調整や会議・出張などに同行し、「普段は知り合うことができないような人々と知り合うことができ、貴重な経験ができた。今でも、財産になっている」と話す。
また、最後の勤務となった業務隊の糧食班長時代は、栄養士と連携して「隊員が厳しい訓練に耐えられるよう、栄養価が高く、しかも、おいしいと思ってもらえるような食事の提供」に努力した。
退職後は、名信ビジネスサービスに勤め、施設管理や伝票などの在庫管理業務を行っている。
妻と2人の子供との4人暮らし。趣味は、パークゴルフとアキアジ釣り。