【名寄】
なよろ市立天文台の礎となった「私設・木原天文台」を設置した、故木原秀雄さんの幼少期から没するまでを描いた漫画「市井(しせい)の研究者 木原秀雄」がこのほど完成した。
完成した漫画本は、木原さんの親族、天文台運営委員会、教育関係者など9人で構成する「ふるさとゆかりの偉人マンガ製作委員会(大谷秀二委員長)」が内容を検討、中川町在住の八ツ目青児さんが画などを執筆した。
昨年度に公益財団法人B&G財団の「ふるさとゆかりの偉人マンガ製作と活用事業」の補助(事業費の全額)を受けて2千部製作。
主人公の木原さんは、1911(明治44)年東京で生まれ、幼少期に名寄に移る。少年時代から星や宇宙に関心を持ち、中学2年生の時、自作の天体望遠鏡を製作。33年に旭川師範学校(現北海道教育大学旭川校)本科2部を卒業し、比布町蘭留小学校で教員生活に入り、40年に名寄尋常高等小学校(現名寄小学校)、42年に旧制名寄中学校(現名寄高校)に赴任。数学を担当し、73年同校を定年退職。
この間、高校教師の傍ら、名寄で皆既日食の観測に成功(43年)、礼文島で金環日食の観測に成功(48年)などの他、「日食観測による位置天文学的研究と日食計算の研究」「日食計算の研究」「日食計算並びに星食計算方式の研究」など、特に、太陽、日食に関する論文を発表した。これらの研究活動などが認められ60年に名寄市文化賞(第1号)を受賞した。
高校教師を退職後の73年に退職金をもとに「私設・木原天文台」を開設。広く一般市民に公開し、天体や天文学に関する知識や魅力などを伝えた。
高齢により92年に天文台を市に寄贈し、翌93年に81歳の生涯を閉じた。
木原さんの後を引き継いだのが、前なよろ市立天文台長、現在北海道大学大学院理学研究員宇宙観測基礎データセンター研究員の佐野康男さんで、漫画の後半に登場する。
佐野さんは、小学生の頃から星空への関心が強く、近所の友人たち6人で天文同好会を発足。木原天文台の開設式にも出席しており、88年に浜頓別町で開催された東亜天文学会の年会には初めて2人で出席している。
92年に名寄市立総合病院の看護師から職種変更し、天文台の技術吏員として寄贈された「名寄市立木原天文台」に勤務。その後、現在のなよろ市立天文台きたすばるの台長を務めていた。
今回の漫画本作成の製作委員会の副委員長を務めた佐野さんは「木原先生が私費を投じて作った木原天文台が、現在の天文台に繋がっている。将来の礎となる大きな役割を果たした」と語り、「人生の大先輩であったけれど、同級生、友人のように接しさせていただいた。現在の技術も先生から受け継いだもので、今があるのは先生のおかげ」と感謝の念を述べる。
製作委員会の大谷委員長は、漫画本が完成したことについて「昨年から、WEB上を含めて委員間で多くの話し合いをしました。漫画本は、想像以上に立派な出来栄えとなった。木原先生の好きなことに真っすぐ取り組む姿勢を子どもたちに学んでほしい。星の専門家だけでなく、子どもから大人まで多くの人に読んでほしい」と語っている
編集の事務局を担当した天文台の内藤博之係長は、漫画本の今後の活用について「校長会を通して各小中学校に配布し、理科や道徳の授業での活用を検討している」と述べ、「まずは天文台のイベントなどで活用し、市民の皆さんへの活用も検討している」と語る。また、B&G財団では、8月中にホームページ上でデジタル版を公開する予定。
木原さんの3女で市内在住の高谷恵美子さんは、昨年6月に編集の関係で、存命の兄妹4人が名寄に集まり「父の思い出などを話しあった」と述べ、「父がここまで自分の好きなことに取り組めたのは、母の支えがあってこそ」と語る。また、木原天文台が老朽化し、現在の天文台建設の際は、「青年会議所をはじめとする多くの皆さんが、募金活動に取り組んでくれ、感謝している」などと話す。
また、今回の漫画本発行に当たっては、「市教育委員会、天文台など、多くの人の協力で発行に至り、本当に感謝している」と笑顔で語った。