長寿時代の高齢者学級 ピヤシリ大学が新しい姿に
平均寿命が延び、社会変化のスピードが増した昭和の終わり頃から、生涯学習という言葉が広がり始めました。平成期には、IT、デジタル、遺伝子などの技術が進む一方、気候変動、世界紛争、災害などの問題も顕在化し、10代に学校教育で学んだことが一生モノにはならないことが実体験として感じられるようになりました。人生の全ての時期、生涯を通して学び続けるため、各世代に学ぶ機会を保障しなければならない、という時代に入ったのです。高齢者学級は、そうした流れに先駆けるように昭和50年前後から各地で開講していました。生涯学習のモデル的な存在でもあります。ところが平成末から令和期において学生減少などに至って閉講したり、仕組みを変えるところが目立つようになりました。
昭和55年(1980)に開学した名寄ピヤシリ大学は、旧名寄市の教育委員会が開設した高齢者学級で、学長を教育長が務めています。入学から卒業まで4年間のカリキュラムを設定し、座学のほか、運動会、大学祭、修学旅行、文集づくり、卒業研究などがあり、65歳以上の市民に第2の学生生活をおくってもらうものです。当初は地域のリーダー養成、という目的も掲げていました。しだいに個々の生きがいづくり、生活の質の向上、さらに健康づくりという目的が主になっていました。平成初期には毎年、30人から40人が入学していたのですが、ここ数年は入学者が数人にまで減少していました。本年度から受講の仕組みを変え、新たなピヤシリ大学として再スタートしました。対象年齢を問わず、在籍に必要な単位がないため、希望の講座だけに参加したり、年度途中の申し込みができます。
こうした状況は、名寄ピヤシリ大学だけのことではなさそうです。隣市の士別市では、高齢者学級の士別九十九大学がこの3月で閉校しました。昭和45年開学の長い歴史がありましたが、入学者減少により令和3年から募集停止していたということです。代わって1年ごとの「学び舎つくも」が開校しています。和寒町の三笠山大学も同様に5年から登録制の「学び舎みかさやま」に転換しています。全国的にみても同じような傾向が見られます。
名寄市内では昭和53年開設の西町三区アカシア大学が町内会が町内会館を利用して始めた初の地域学級で、地域運営型の生涯学習活動の先駆的なものでした。平成期にはホームヘルパー講座を開催するなど新しい内容にも挑戦しましたが、高齢化と受講者減少で平成16年に閉校しました。また、名寄ピヤシリ大学と同じ昭和55年開設の智恵文友朋学級、風連町で昭和47年開学の瑞生大学があり、研究生制度などによる在籍期間にこだわらない運営で継続していますが、入学者減少は同様です。また、名寄東小学校校区で平成3年(1991)に始まった名寄東小コミュニティカレッジは、学校や地域とのつながりを軸に、対象は市内全域に広げる形で継続しています。
地域は人口減少の中にありますが、高齢者の数はほかの世代に比べて少なくない状況で、どうして高齢者学級を選ぶ人が少なくなっているのでしょうか。一つには、高齢化の一層の進行があるでしょう。60代から平均寿命の80代後半まで20年以上をどう過ごすのか、高齢者大学の4年間、さらに大学院などを加えても余りある期間です。60代の生活は30年前と異なり現役で働く人も少なくありません。以前から続けていた趣味やスポーツの活動を継続する方も多いでしょう。インターネット環境が整い、個人で楽しんだり、遠方の人とつながることも可能です。高齢者とひとくくりにはできないボリュームのある世代には、いろいろな選択肢があります。高齢者学級に参加する人の目的として、新たな人間関係、人との交流機会づくりが挙げられています。大学に倣った学びの場での学友づくり、というより、交流しながら学ぶ、という新たな仕組みが作られようとしています。 (宗片)
当連載は、市史編さん室職員の担当者が回ごと交代で執筆します。
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