自衛隊イラク派遣から20年 2

②派遣された現役・OB隊員の声1

丸山悦弘(よしひろ)さん(49)は名寄市の出身。
1994年10月に陸上自衛隊入隊。真駒内駐屯地で前期教育課程を修了後、95年3月に第3普通科連隊(当時、以下「当時」を省略)に配属。
イラク派遣時は、同連隊第1中隊の3曹。現在は、第3即応機動連隊の運用訓練幹部で1尉。
派遣に向けて2003年秋以降、輸送、要人警護、宿営地警備、各種車両の操縦、市街地戦闘、救護、アラビア語、各種射撃、国際法などさまざまな訓練を受ける。
04年1月に先遣隊のメンバーとして出発。名寄駐屯地からは、丸山さんを含めて6人が先遣隊に選ばれた。
先遣隊は、陸上幕僚本部の約20~30人の隊員で構成。施設隊による測量、宿営地の準備、各部族長や警察との調整・情報収集などさまざまな任務を、イラクの人々と信頼関係を築きながら実施した。
本隊との合流後は、警備中隊に属し、主に警備や要人警護、ドライバーなどの任に当たった。
クエートの米軍キャンプで約2週間、イラク入りの準備、訓練を経てイラク入りした際は、「ボロボロになった戦車や大型トラックなどがあちこちに見られた。子ども達は、自衛隊車両に手を振ってくれ、歓迎してくれている感じがした」と話す。
イラクでは、住民のデモなどもあったが、「日本の自衛隊に対しては、仕事をさせてくれ。帰らないでほしい。」といったもので、「感謝でいっぱい」と話す。
また、先遣隊は多くの新聞・雑誌等から取材を受け、アーマーモデリングの別冊号の表紙などにも掲載された。
20年が経過した現在も、番匠群長が示された「ABC(当たり前のことを、ぼーっとせず、ちゃんとやる)」を胸に、任務の遂行に努めている。
「当時のことは、今でも鮮明に覚えている」と話し、「支えてくれた皆様に感謝しかない」と笑顔で話す。
妻と子ども2人の4人家族。趣味は、キャンプなどアウトドア全般。

柴垣克巳さん(61)は、青森県下北郡風間浦村の出身。
1981年4月に青森県の八戸駐屯地で前期教育課程修了後、同年6月に名寄駐屯地の第3普通科連隊に配属。その後、同連隊の中で異動し、イラク派遣時は、本部管理中隊の曹長。
03年10月から、第2師団で事前訓練を約3カ月間受け、「日頃の訓練の大切さを実感した」と話す。
イラクには、本隊第1波の一員として2月21日に出発し、5月の帰国まで3カ月間、群本部の陸曹として、復興支援群全体の総務・人事業務などの全般を担当。
現地では、宿営地の設置、給水活動、医療支援、施設整備、警備など、多くの復興支援業務がある中で、全体の調整に尽力した。
また、派遣隊員全体の7~8割を占める陸曹の「海外派遣曹友会長」を務め、司令官への意見具申の役割も担った。
当時の思い出として、「名寄市民から預かった激励のこいのぼりを、イラクの子供たちの未来のため、ユーフラテス川に掲げ、現地の教育委員会から感謝の言葉をもらった」ことや、他国の軍隊から、日本の宿営地について、「イラクのモデル駐屯地だ。自衛隊の宿営地を見に行け」と、評価されたことなどが思い出に残るという。また、「当時は、1次隊ということもあり、派遣された隊員に注目が集まったが、航空自衛隊や海上自衛隊、留守部隊、留守家族を支えてくれた名寄市民など、多くの支えがあって任務を遂行できた」と、感謝の言葉を述べる。
16年11月に同連隊第4中隊の先任上級曹長で退職後、同年北洋銀行名寄支店に再就職。同行では、銀行業務に従事している。
子どもは独立して妻と2人暮らし。趣味は、ウォーキングと野菜づくり。

山口信二さん(66)は登別市の出身。
1977年1月に陸上自衛隊入隊。真駒内駐屯地で前期、遠軽駐屯地で後期の教育課程修了後、同年7月に第3普通科連隊本管中隊情報小隊に配属。
イラク派遣時は、同連隊第1中隊の准尉。
事前訓練を経て、04年1月下旬に先遣隊のメンバーとして出発。名寄駐屯地から、山口さんを含めて6人が先遣隊に選ばれた。
先遣隊は、陸上幕僚本部の約20~30人の隊員で構成され、測量や事前のさまざまな調整などを実施。山口さんらは、その警護に当たった。
宿営地が完成するまでは、オランダ軍の宿営地の中を間借り。「測量をはじめ、道路整備や宿営地を作る作業は大変で、その時の警護が一番きつかった」と話す。
先遣隊到着から約1カ月後に第1派が到着した際は、番匠群長から激励の言葉をいただき、「感激と安ど、うれしさでいっぱいだった」と述べる。
クエートからイラク国内に入ると状況や生活感が一変。特に、子どもの物乞いには衝撃を受けたことから、帰国時、隊から支給された菓子などを配布した。
また、先遣隊から入ったため、派遣期間も4カ月間と長く、「当初は、こちらの寒い秋くらいの気候だったが、3月から4月には、気温40度を超す日もあり、体調を崩す隊員もいた」と述べる一方、自身は、戦技(バイアスロンなど)で鍛えていたことから「何とかなった」と話す。
帰国後は、同連隊の第1中隊第2小隊の3尉で11年7月に退職。退職後は、民間企業などを経て、19年8月から株式会社カンリで、用水路の管理や除雪作業を担っている。
妻と小学生の子どもの3人暮らしで、「子どものサッカーの応援が何より楽しい」と笑顔で話す。(松島)