風連町・名寄市合併20年を迎えて

第6回 関係者に聴く

 中島道昭名寄市社会福祉協議会長(元JA道北なよろ組合長)と元風連町教育委員長の高木信行さんに話を聴いた。

 中島道昭さん
 中島さんは、合併前の名寄農協の組合長で、合併後の道北なよろ農協の副組合長を経て、2006(平成18)年4月26日~17年6月15日まで同組合長。ホクレン農業協同組合連合会代表幹事を経て、21年6月24日から名寄市社会福祉協議会の会長を務めている。
 ―風連町と名寄市が合併協議を行っている際、当時の名寄農協の組合長として、農協の合併に取り組んでいたと思います。結果として名寄、智恵文、風連の3農協が合併し、現在の名寄市の枠組みと同じになりました。JA合併は、はじめから現在の枠組みで議論を進めたのでしょうか。JA合併に反対する人はいませんでしたか。
 中島 JAの合併は、北農中央会の方針で、当初は、中川町~風連町までの上川北部(6農協)が合併協議のはじまりでした。合併構想の中では、面積が広いなど―色々な議論がありました。美深、下川、中川の3農協が先行して「北はるか農協」を03年5月1日に設立し、残された風連、名寄、智恵文の3農協で協議して「道北なよろ農協」が05年2月1日に誕生しました。
 3農協の合併に反対の声はありませんでしたが、風連、名寄、智恵文の3農協の中で、それぞれがリーダーシップを取りたいとの思いは強く、それが大変でした。例えば、新農協の名前、本所の場所など。それぞれが妥協して現在の「道北なよろ農協」となりました。売上(販売金額)は風連農協が一番多かったが、財務内容は名寄農協が一番良かった。また、職員の給与などの待遇、均一化なども大変でした。
 ―風連町では、合併に賛成・反対で意見が分かれ住民投票を実施しました。農協の合併は市町村合併に影響を与えたと思われますか。
 中島 風連地区は農村人口が多いこともあり、道北なよろ農協が、風連町の住民投票の前に誕生したことは、合併が是か非かを求めた住民投票の結果(合併推進)に良い影響を与えたと思います。3農協の合併は、結果として新たな行政の枠組みとなり、合併の推進に果たした役割は大きいと思っています。
 ―合併後20年が経過しました。名寄市の農業振興、社会福祉協議会の2点について意見を聴かせてください。
 中島 農業振興の面では、3農協の合併で規模が大きくなり、財務内容が良くなりました。それにより、新しい施設がたくさんできました。例えば、市街地再開発による本所の建設、農業振興センター、アスパラ選別機、倉庫などの建設。規模が大きくなったことで実施できました。
 一番良かったのは、1行政・1農協となったことで、行政が農業振興に理解を示してくれ、手厚い補助を受けることができました。1農協が複数市町村にまたがる場合は、難しい面があります。
 農協も合併で体力がつき、行政も合併して1行政・1農協になったことは、相乗効果があってできなかった事業も実施できました。農業振興面からみての合併は、プラス面ばかりで、行政には感謝しています。
 社会福祉協議会は1市町村に1つと決まっているので、風連に支所を置いています。合併後は、旧市町にこだわらず一つの事業として実施しており、風連地区からも多くの方が一体となって参加してくれています。町内会連合会や、民生委員・児童委員連絡協議会なども含めて、合併当時から20年の付き合いがあります。社会福祉協議会の活動はスムーズにいっていると思います。
 ―この20年、大型事業は風連地区が先行し、後半に名寄地区でも実施されています。大型事業は実施されたものの、両地区とも人口減少は進んでいます。まちづくりの面ではいかがですか。
 中島 風連地区の市街地再開発事業は、農協本所の建設などがありましたので、当時農協の組合長として関わることができました。風連地区を先行し、まちづくりに関わる市街地再開発事業を実施できたことは、良かったと思っています。また、行政の合併、農協の合併があったので、再開発事業を実施できたと思っています。
 一方、名寄地区では、中心市街地再開発の構想はあるものの、未だに進んでいません。残念ながら、合併して名寄地区の方が、寂れた、後退した印象があります。土地の提供が進まなかった面があると思いますが、事業を推進する際の前向きさ、特に、後継者の意見をもっと聞くべきではなかったかと思います。投資の仕方も、10年スパンでなく、20年、30年先を見据え、長期的な視点で、取り組んでほしいと思っています。
 2040年までに、人口は2万人を切ると言われています。5千人の減少は大きい。購買力は落ちるし、産業をどう振興していくのか。人口が減ると、お金が工面できなくなる。行政も、人口減少に伴う影響を、財政面などを含めたシミュレーションをしっかりとやってほしい。
農業の面でも、後継者が育っていない。農家自体は大型化しているが、新規就農者もそれほどおらず、10年後が心配。例えば、何年かの契約期間を設け、農地も機械も合わせて全部居ぬきでやれるようにするなど、新規就農者が入ってきやすいような態勢づくり、農業を守るための活動の強化が必要だと思っています。
人口減少は予想以上に進んでいるので、中心市街地の活性化など、産業振興を含めた対策をしっかりと実施してほしい。
 ―最後に、今後の10年、20年を目指してどのようなことを望まれますか。
 中島 我々団塊の世代は、今後、80歳、90歳になっていきます。しっかりとした老後対策が必要です。それには、介護分野などでの外国人雇用のサポート、医療関係がしっかりすることが大事です。個人の開業医院は減少しています。医療・介護を支える態勢づくりが必要です。
 温暖化が進む中、北海道の優位性をもっとPRすべきです。例えば、夏は北海道、冬は本州など、1年の半分を移住してもらう。名寄には、空き家も多く、空き家を活用することで可能になる。大学や総合病院があり、住みやすい環境もあります。弱点として、名寄は交通網が十分でない。例えば、小さなバスやワゴン車でこまめに巡回する。そうすることで、高齢者の足が確保され、名寄に残ってくれる高齢者も増えます。
 雇用の面でも、魅力ある企業の創出が必要です。例えば、陽だまりでは、福祉面はもちろん多くの雇用が生まれています。また、中心部に温浴施設などの複合施設、憩いの場を作ることも必要です。名寄は、資源を活用できていない面もあります。これらを実施して、人口が2万人を切らないよう努力してほしいと思っています。

 高木信行さん
 高木さんは農業に従事する傍ら、風連町の元教育委員長として教育行政に尽力。新名寄市発足後も、2009(平成21)年5月15日まで教育委員を務めている。
 ―風連町と名寄市の合併協議の際、風連町では住民投票を実施して合併が決まりました。当時は、合併に慎重・反対の立場であったとお聞きしました。当時を振り返ってみていかがですか。
 高木 当時は、合併に慎重・反対の立場でした。それは、「住民投票を実施すべき」との考えからでした。柿川弘町長は、当初、住民投票に消極的でした。平成の大合併の当時は、合併に対して住民投票を実施する市町村もあり、合併反対が多数を占めるところも多かったからです。
 合併に慎重な立場であった有志と柿川町長のところへ行き、住民投票実施の要望書を持参しましたが、「実施する予定はない」と否定的でした。次に、中野秀敏議長のところへ行くと、議会として前向きに検討してくれることになりました。
 慎重であった理由は、「住民投票を実施して民意を反映すべき」との理由からです。その後、町長は各地区に職員を派遣して住民説明会を開くことになり、最後は町長自身が出席して説明したと思います。賛成・反対に関わらず、住民投票を求める声は次第に多くなり、結果として住民投票が実施されました。
 ―住民投票で民意が示され、結果として合併となりました。他の合併した市町村の一部からは「マチが寂れた」などの声も聞かれます。その後、賛成・反対の立場の違いからのあつれきなどはありましたか。
 高木 最終的に町長も議会も歩み寄り、住民投票条例が制定され住民投票が実施されました。結果として概ね賛成が2対1の割合でした。その後のあつれきなどについては、なかったと思います。
住民投票の実施で民意が示されたことは、良かったと思っています。また、合併したから「寂れた。人口が減った」とは、言えないと思います。
 ―合併後、風連地区では大型事業を先行実施。後半は、名寄地区でも大型事業が実施されています。一方で、両地区とも人口減少が続いています。まちづくりの面ではいかがですか。
 高木 合併により、市街地再開発などの大型事業を先行して実施できたことは、風連地区の発展にとって良かったと思っています。道の駅にしても、風連中央小学校にしても、風連町時代からの懸案でした。名寄地区の方が、風連地区の大型事業の先行実施に対して、理解してくれたと思っています。
 人口減少は色々な問題があり、合併に関係なく減少していると思います。それは、風連も名寄も同じだと思います。
 ―最後に、今後の10年、20年を目指してどのようなことを望まれますか。
 高木 農業の分野でも規模拡大が進み、面積的にも限界に近づいています。家族経営で農業を営むのは限界にきており、農業法人化などを進めて人を雇用して農業をすることが必要です。雇用の面では、人材不足が続いているので難しい部分はあるかもしれませんが。
名寄市のまちづくりについては、若い世代の人たちが中心となって進めてほしいと思っています。  

*肩書は、いずれも当時