著者:ドストエフスキー 出版社:新潮文庫 出版年:1978年
「好きな本はなんですか?」
読書家同士が一度は交わすコミュニケーションである。そのコミュニケーションにはもちろん、相手がどのような本を読んでいるかという関心だけでなく、自分の関心領域にどれほど近いか、次なる話題になり得るか、価値観がどれだけ自分と近いか、など様々なことを探る意味も含まれている。
そしてその中には、「どれだけ高尚な本を読んでいるか、相手に思い知らせる」という、非常に俗物的で卑しい見栄も避けられない。もしあなたが私のように怪物のように膨れ上がった虚栄心を満たしたいのならば、この本を読むべきだろう。
『カラマーゾフの兄弟』。世界一の文豪としても名高いドストエフスキーの遺作にして最高傑作である。百四十年以上前に書かれた作品にもかかわらず、今なお読み継がれ、語り継がれ、風化する気配さえ思い起こさせない、まさに最高傑作である。
と同時に、全二千ページ弱にも連なる非常に重厚、かつ金銭トラブルに色恋沙汰、宗教問題に殺人事件とその犯人当て、果ては裁判の様子まで取り扱い、キャラクターのそれそわれ難解かつ示唆的な台詞を数ページにわたって行うこともしばしば、しかも現存している『カラマーゾフの兄弟』はドストエフスキーの中では第一部であり、彼曰く「重要な小説」としているのは書かれることのなかった第二部であるため、未だ謎も多く、解説書も多く刊行されている……。
つまり、「とんでもなく読みづらい小説」である。私と同世代の友人は、まずもってこの小説を読んでいないし、きっとよほどの小説好きでないと、それほど難解で長い小説など読む気にもならないだろう。虚栄心を満たすのにもぴったりである。わかりやすく「読んでいたらかっこいい」小説だろうし、前述したように好きな本を聞かれた時は「そうですねえ……まぁ…..やっぱり”カラマーゾフ”になっちゃいますかねえ……」といえば、『カラマーゾフ』を読んだことだけでなく、古今東西の小説を網羅的に読んだ経験、そしてその中からやはり『カラマーゾフ』を好きな本に選ぶ審美眼さえアピールできてしまう。(あえて言うが、古今東西の小説を読んだとは言ってはいないので嘘にはならない)。たった二千ページ弱読むだけで一生、先程の質問に対する絶対的な正解を出せると考えると、タイム・パフォーマンスも非常に良いのかもしれない。
さて盆をひっくり返すようだが、虚栄心を満たすだけの小説が百四十年も読み継がれるはずなどない。そこには確かな理由がある。主要メンバーは荒っぽくがさつで、金のことには非常に厳しいフョードル、そしてその息子三兄弟である。長男で、父親譲りだがどこか憎めないドミートリー、次男で無神論者、頭脳明晰だがどこか翳りのあるイワン、三男で敬虔なキリスト教信者だがどこか危ういアリョーシャ。彼らとその周辺の人物関係が複雑に絡み合いながら進んでいく。主題の大きな一つは父親であるフョードルが何者かによって殺されてしまい、その犯人を捜す部分である。その部分は非常にミステリ仕立てであり、ある意味エンタメ的でもありながら、そこで交わされる会話もまた示唆的で、一筋縄ではいかない。
私はこの「一筋縄ではいかない」という部分がこの小説の魅力だと考えている。それは長大であること、難解であることに加え、キャラクターそれぞれ、ひとことで説明できるような人物像を持たない。具体的には、完全な悪人もいなければ、完全な善人もいないのだ。先程の三人兄弟の説明それぞれに「どこか」と何度も書かれているのは、私の筆力の問題が関わっているのも大いにあるが、それだけでなく、それぞれの人物が矛盾を抱えながらも、信念を持ち、長大な口喧嘩を繰り広げながら真実にたどり着こうとするその過程が、人物像にフィクションと思えないリアリティと異様な魅力を付与させている。ロシアの、十九世紀の、しかも長大な作品が今も日本で愛されているのは、やはりとんでもない魅力があるからなのである。
ここまで読んでくださった方には見え透いているかもしれないが、私自身、一度通読したのみで、内容の半分も理解したとは言えず、形容しがたい興奮のままこれを書き綴っているため、本書の魅力を伝えられているとは到底言い難い。無論、今のところ、虚栄心を満たすばかりである。それに私が魅力を書かずとも、本書は小林秀雄のみならず、様々な評論家・作家によってすでに解説されている。私が新しく伝えられることなど、とうの昔からない。
けれど、なんか、とんでもない小説だったということだけは伝えられる!虚栄心でも、話題作りでも、なんとなくでも、読めばきっとおつりがくる小説だろう。
追記:上述のように好きな小説を聞かれた際、カラマーゾフと答えると大抵自らの賢さを演出することができるが、ごくたまにカラマーゾフの愛読者に出くわすことがある。どの訳がよかった?など明らかな通な質問をされた際は走って逃げ去るしかない。これもまた虚栄心を張るうえで避けられないのだ。
書き手:高橋龍二

