BOOKLAB.書籍紹介 いなくなっていない父

著者:金川晋吾 出版社:晶文社 出版年:2023年

 写真家の金川晋吾には度々失踪を繰り返す父がいる。金川が幼い頃から職場にも家族にも何も言わずに数週間家に戻ってこないということを繰り返していた。そこに失踪したこと以上のドラマはない。父の失踪によって家族に危険が及ぶわけでも、また戻ってきた父が憔悴していた、警察の厄介になったというような事件が付随していたわけではない。彼はただいなくなり、そして数週間後にふらっと戻ってくる。『いなくなっていない父』は金川とその父との関わりの記録でもある写真集『father』に掲載された父との日々の日記をベースにしており、写真集発売後の日々を綴った晶文社でのエッセイを再掲した作品である。

 本書表紙のくつろいだ人物は金川の父だ。その父がベッドでくつろぎながら見ているのは金川が父を被写体に撮影したポートレイトの写真集『father』である。息子の撮影した父の写真を見る父自身(そしてこの表紙の写真を撮影しているのもまた息子の金川である)、という入れ子のようなイメージがどことなくマグリットの《不許複製》に描かれる顔の見えない人物が鏡の中で連なっていく様子を彷彿とさせる。息子が撮った作品を眺める父の写真にあなたは何を思うだろうか。写真からは読み取ることのできない父の表情をあなたはどう想像するだろうか。もし自分が父だったら、あるいはこれを撮影している金川だったら…。この写真からは本書において語られる親子や家族の関係が一言では到底言い表せないものであることを予感させる。

 金川の行為は金川の父という人物を知るために始まった旅のようなものだ。しかし、その記録の集積から父との関係を表す明確な答えが示されることはない。撮影を始めて、父と以前より関わるようになった。さらに、写真集の発売などを契機に関わることのできるようになった第三者の視点によって父という人物の見えていなかった側面が明らかになった。それによってかつて釈然としなかった態度にある程度説明や推論をつけることはできるようになったが、父の行動や思考の「これぞ核心」と呼べるものはない。金川の父にはある意味での明確な意思や行動に対する哲学というものはなく、水に浮かぶ澱のように沈殿と浮遊を続けているかのようだ。手を伸ばすと水の動きで容易く散り散りになってしまい、実態を掴むことは難しい。だからこそ父を写真家、そして家族として撮影することを模索する中で、金川は父という人物を判断することを一旦放棄するというあり方を見出したのかもしれない。見出された答えを示すためのものではなく、金川の写真を通じた旅の軌跡を追う書籍なのである。
 
 金川は父を撮影する小さなプロジェクトにおいて、父に1台カメラを渡し、自身を撮影するように伝えた。2009年からの撮影で父の自撮りは3,000枚を越えた。枚数も、そして撮っている内容にもある種特別な意味や価値を付帯することはできるかもしれないが、写真それ自体からは壮年から老年に年を重ねていく男性を自撮りしたものであるということ情報しかもたらされない。「ただそこにある」ものが記録された以上の内容を持たせたり、第三者に察知させることは写真には難しい。しかし、撮るものを選ぶのは撮影者であり、撮られた写真は契機や引っ掛かりによって生まれたものであることも事実だ。その契機とはそれは金川とその父が「親子だから」で済ませられるものなのだろうか。

 家族は最も距離の近い他人だ。家というシステムの同じ空間で同じ時間を過ごすことになり、自分の知らない幼い頃のことまで知っていることだってある。でも家族でも「他人」なのだ。話したくないことも、言葉にならない思いが各自にあって、いざ問われると沈黙してしまう。家族という存在は社会システムに組み込まれた重要で基幹的な集団と言うことができる。それゆえの一般化や理想化から紋切り型に言い表すこともできてしまい、言葉の隙間から個々の関係性は流れ落ちてしまう。金川は父と自分の顔を比べて「似ている」とは思うが、そこに紋切り的に「血縁」を介在されることに釈然としない思いがある。また父と自分との関係についても、そこに血を含めた家族のつながりを見出されることに違和感を覚えている。金川の撮る父の写真とテクストは丹念に父のかつてと現在を追い、言葉にならないものや答えのないものに何とか手がかりとなる言葉を与えることで模索の手がかりとなる。写真は親密さをステレオタイプ的に演出しないことによって、父という他者の記録装置として機能している。金川の写真は一見記録的であるように見えて、家族という他人に対する愛着、不安、そして他者の思考という容易に読み取ることのできない空洞の部分に輪郭や認識を与えることのできる作品だと言えるだろう。

参照
金川晋吾, father, 青幻舎, 2016年

書き手:上村麻里恵

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