作家(翻訳者等含む):作/マイケル・ローゼン 絵/クェンティン・ブレイク 訳/谷川俊太郎 出版社:あかね書房 出版年:2004
一年の暮れになると、その年にあった出来事を振り返りたくなるだろう。
中には、楽しい思い出ばかりでなく辛いこともあるが、どうしてか良かった出来事ばかりを思い出そうとする。
しかし、マイナスな感情も受け入れ整理しなければ、これから先の人生を自らの責任において背負うことができないのではないだろうか。
今回紹介する『悲しい本』は、子どもを亡くした男の悲しみを描いた絵本だ。
子を亡くし、妻もいない男エディの日々は、悲しみばかりに彩られている。抱えきれない悲しみに押しつぶされそうになっているのに、それでも息子のことを思い出さない日はなく、その記憶を生きるよすがにしている。そんな様子がどこかあやふやで滑稽なイラストで紡がれ、読者はそこに、逆説的により深い悲しみが描かれていることを感じるだろう。
児童文学の作家・詩人でありイギリス出身のマイケル・ローゼンは、子ども向けの本を多く出版しており、『きょうはみんなでクマがりだ』(評論社・1990年)などが著作にある。詩人でもある彼の作品の特徴が、聞き心地の良い言葉選びだ。本作でも、谷川俊太郎の翻訳による所もあるが、悲しみについての数々の言葉はどこかリズムよく耳に馴染む表現が多い。
絵を担当したのはクェンティン・ブレイク。彼もイギリス出身の児童文学作家でありイラストレーターだ。ダール著『チョコレート工場の秘密』(評論社・2005年)で有名である。
ローゼンの率直な悲しみの言葉に、ブレイクのユーモラスなイラストが添えられることで、主人公が抱く感情に、より一層深みや複雑さ、余韻が加えられる。息子がいた頃の明るく鮮やかな思い出と、一人ぼっちで悲しみに暮れるエディのどんよりとした現実が強いコントラストを表現している。
イギリス出身の作家だからか、作中の天気は雨や曇り空ばかりだが、妻や息子がいた頃はそれも楽しく受け止められたのに一人になると心塞ぐ描写が、なんともそれらしい。
誕生日にケーキのろうそくを灯し盛大に祝う思い出がある一方で、息子の死を悼んで捧げる火もある。思うに、ろうそくの灯りは誰かが存在する、あるいは存在していたことへの証なのだろう。エディの誕生日に関する記憶に、私は最も深い絶望と仄かな希望を感じる。
また、物語を始めるモノローグがあまりに印象的だ。
誰にも、
なにも話したくないときがある。
誰にも。
どんな人にも。
誰ひとり。
……私の悲しみだから。
ほかの誰のものでもないのだから。(『悲しい本』カバー折り返し・モノローグ)
この思いこそ、誰かを失う悲しみの最も普遍的な部分ではないだろうか。自分にとって大事な誰かの喪失は、他でもない〈自分〉にとって大事なのだから、他の誰かに話すことで解消されるものではない。人は皆誰かの特別であるという、当たり前だが忘れられがちなことを思い出させてくれる。
私たちが生きるために、時には、飽きるほど悲しみのドン底に浸ってみることも必要なのだろう。そしてその底から見上げるものが、生きる手綱となってくれる。
一年の暮れに、楽しい出来事だけでなく悲しみをも振り返り、それもまたあなたの一部であると素直に認めてあげられると良い。
良いことばかりが人生ではない。今年悲しいことがあったあなたに、捧げたい一冊だ。
書き手:小松貴海