BOOKLAB.書籍紹介 「いき」の構造

著者:九鬼周造 出版年:(初刊行は1930年) 出版社:講談社(初刊行は岩波書店)

  九鬼周造の『「いき」の構造』は、名著としてよく名が知られている。しかし実際に読んだことのある人はどのくらいいるだろうか。大学生にとって必読の存在だった時代もあるそうだが、今の若者にとっては読んだことのある人のほうが珍しいだろう。しかし、これはほかの哲学書にも言えることだが、若いうちにこそ『「いき」の構造』を読んでほしいと私は思う。なぜなら、哲学は生き方のヒントを与えてくれる。書いてあることに完全に同意できなくてもいい。こういう考え方もあるのだと知っているだけで、何かに悩んだとき自分なりの答えを見つける手掛かりになるからだ。

 『「いき」の構造』は、1930年に岩波書店から発表された。本書の優れた点としてよく挙げられるのは、「いき」という言葉での説明が難しい概念を、その本質と外延の両方からアプローチして分析する手腕、そして簡潔でありながら文学作品のような味わい深さを持つ本全体の巧みな構成などであろう。「いき」に近い概念である「上品」や「渋味」などの関係を六面体で表した図も有名だ。これだけ息の長い本だと、書評はたくさん書かれており、それらについては既に多くが語られている。したがってここでは別の点、『「いき」の構造』で考えられている「出会いと別れの哲学」に目を向けたい。

「いき」というと、今では「粋な計らい」などという使われ方をする言葉だが、本書では江戸時代の遊郭での男女関係から生まれた概念として「いき」を扱う。遊郭では、男女の疑似恋愛がなされる。人気の遊女ほど、簡単に客に会うことはせず、そこではときに本物の恋愛以上の駆け引きが行われる。その中で生まれたのが「いき」という美意識だ。九鬼は本書の中で、「いき」は「媚態」「意気地」「諦め」という三つの要素を含むと述べる。異性に接近するための態度である「媚態」に、一種の反抗を示す「意気地」が犯しがたい気品を、恋の執着を脱する「諦め」が軽やかさを与える。つまり「いき」とは、恋愛に見られる「媚態」の一種でありながら、結ばれること執着するのではなく、別れも含めて恋愛を無目的な遊びとして軽やかに楽しもうとする態度のことだと九鬼は分析している。

この、人との別れをも軽やかに愛する「いき」な態度は、一朝一夕で身につくものではない。九鬼は本書の中で「いき」のことを「運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きる」(p160)ことであるとも述べているが、出会いも別れも、それが運命だったのだと諦めて、なおかつその諦めの中に前向きな意味を見出せるようになるためには、「野暮は揉まれていきとなる」という言葉があるように、数多くの出会いと別れを繰り返さなければならない。これを反対に考えれば、今はつらく悲しい別れでも、その経験がいつか自分を強くし、魅力的に見せてくれるかもしれないということだ。

九鬼は男女関係に見出されるものとして「いき」を分析したが、人との出会いと別れの悲喜は、男女間に限ったことではない。本書が書かれてから100年近く経った今も、人間関係の悩みは誰にでも生じ得るものであり、今後もそれは変わらないだろう。特に若く多感な時期に経験した出会いや別れからは、良くも悪くも大きな影響を受けることが多い。だから私は、今の時代の若者にも、『「いき」の構造』を読んでほしいと思う。人間関係に悩んだ時、別れを前向きにとらえるきっかけを与える九鬼の哲学は、人を強くするだろう。

コロナによる人との出会いの制限を経験し、反対にマッチングアプリを介した気軽な出会いが当たり前になりつつあるという、出会いの変容の只中にある現代人にこそ、『「いき」の構造』は必要かもしれない。

書き手:伊東愛奈

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