作家(翻訳者等含む):稲垣諭 出版社:講談社 出版年:2024年
「弱者男性」という言葉をご存知だろうか。
ネットを中心に用いられるようになった、社会的立場や能力が低いとされる男性を指す言葉である。多様性や個性、人権の尊重が謳われ、人類史上最も平等なはずの現代で、どうしてこのようなパラドキシカルな言葉が登場したのか。
『「くぐり抜け」の哲学』は、現象学などの分野を専門として大学の教壇に立つ著者が、現代社会と男性の「弱さ」、他者への理解に焦点を当てた哲学的随感だ。そこでは、弱さも一種の個性として肯定されるべき多様な社会で、却って強さへの志向が際立つことのメカニズムが、文学や社会情勢の分析から説明される。
現象学という哲学の一ジャンルを打ち立てたフッサールが人間とクラゲの経験を比較する文章を残したことから、稲垣はクラゲというモチーフを手がかりとして論を展開する。人間とは身体的構造も生態も全く異なるクラゲについて思いを馳せること、即ちクラゲが経験する物事やその仕方を想像し追体験的にくぐり抜けることが、他者を理解するアプローチの第一歩となるのだ。クラゲから着想を得、そこから実践的アプローチへと展開する試みは実に独創性豊かで興味深い。
さて、稲垣は大学教授として日々学生に指導しており、彼が社会的に成功した男性であるとあうことに自覚的だ。フェミニズムやマイノリティの人々への配慮という問題が表面化する世界で、歴史的・社会的には支配層に位置されてきた男性は、弱さを訴えることに困難が伴う。男性の中には成功する人もいればそうでない人もいるのに、男性よりも明白に立場が弱い人々が存在するため、その人々へのケアが優先される現状があるのだ。それが良い悪いという問題ではなく、事実としてあるはずの男性の弱さが無視されてないものとして扱われてしまうという問題を、彼は提起している。
他方で、稲垣は有害な「男性性」についても臆することなく論じる。例えば犯罪の被検挙者やテロリストなどを男女で比較すると、顕著に男性の方が多い。もちろん大多数の男性は犯罪を行わないし過剰な攻撃性を他者に向けることはない、という前提は述べられる。しかしその上で彼は、「ノットオールメン(全ての男性がそうではない)」という言葉を掲げて当事者意識を持たないことへの疑問符も投げかけてくる。一部の攻撃的な男性だけを問題とし、彼らを隔離すればそれで解決するようなことはない。であれば、そうした「男性性」へのくぐり抜けを通じて根本的メカニズムへの接近を試みる必要があるというのが、稲垣の論だ。
本書には、男性の立場から男性自身の強さ、弱さに真摯に向き合い論及することの新鮮みがある。日々ニュースやSNSを見ていると、心がモヤっとする出来事に出会うこともあるだろう。その理由や仕組みがはっきりと分かれば、納得できることもあるかもしれない。『「くぐり抜け」の哲学』は、くぐり抜けという哲学的アプローチで以てその手助けをしてくれる。
書き手:せを