著者:パウル・クレー(絵)、谷川俊太郎(詩) 出版年:1995年 出版社:講談社
2024年を振り返ると、谷川俊太郎の他界が衝撃的な出来事として思い出される。大詩人の訃報を受け取ったその日、SNSは哀悼の言葉で溢れかえっていた。多くの人が、悲しみの言葉とともに、思い入れのある作品について言及していた。挙げられる作品は驚くほどにさまざまで、いかに谷川が紡いだ言葉が多くの人に寄り添うものであるかを示していた。そしてその言葉は、詩人の死後も親しまれ続けていくのであろう。今回は、今後も愛され続けてほしい作品のひとつとして『クレーの絵本』を紹介する。
本書はパウル・クレー(1879-1940年)の作品40点と、谷川俊太郎の詩14編を収録した詩画集だ。クレーはスイス生まれの画家で、のちにドイツに移り住み一時期バウハウスでも教鞭を取った。記号を用いた抽象的な作品や、音楽からインスピレーションを得た作品、色彩と線の表現が際立つ作品など、独自の表現が現在でも愛されている。
谷川は、自身の創作活動の源泉の一つにクレーの作品を挙げている。本書が刊行されたとき谷川は60代であったが、若いころからクレー作品の題名から着想を得て詩を創作しており、20代前半のときに書いた作品も収められている。
クレーの作品は、先に触れたように抽象的なものが多く、一目見てそこに込められた意味を理解できるようには描かれていない。そういった作品から詩作するとなると、作品についての一解釈に過ぎないものとなってしまいそうなものだが、谷川の詩は決してそこに留まらない。クレーの絵に詩を付けるのではなく、クレーの絵と対等に並ぶ詩を作り、さらに絵と言葉とを響き合わせることで新たな味わいを生み出している。谷川は本書のあとがきのなかで、クレーの絵には「日々の生活の現実からかけ離れていながら、人をそこに立ち戻らせる深い感情」があると述べているが、その深い感情の部分を、言葉として引き出している。
ここで、一人の偉大な詩人を失った我々にとって、興味深いひとつの詩を見てみよう。1940年に制作されたクレーの作品〈死と炎〉から作られたものだ。クレーの作品では、オレンジ色の背景に、太い線でデフォルメされた骸骨のような人物が描かれる。人物のパーツは良く見るとアルファベットのT、O、Dで構成されており、これはドイツ語で死を表わす「Tod」からとられている。人物は魂と解釈できるような丸い物体を手に乗せている。谷川はこの絵から、自分の死を想う者の心を詩にした。特に印象的な箇所を一部引用しよう。
「かなしみ
かわのながれ
ひとびとのおしゃべり
あさつゆにぬれたくものす
そのどれひとつとして
わたしはたずさえてゆくことができない
せめてすきなうただけは
きこえていてくれぬだろうか
わたしのほねのみみに」
二人の偉大な芸術家の生と死が、この詩と絵画のなかで交差しているように私には思える。クレーが〈死と炎〉を描いたのは没する年の1940年であった。晩年のクレーは、ナチスの迫害を受けて亡命先で貧困に陥り、同時に難病の皮膚硬化症を発症し苦しみの中にあった。一方で、日記には死を受け入れ、人生を幸福なものとして振り返る言葉も残されている。恐ろしさとある種のおかしさを併せ持つこの絵画には、死が近づく苦しみとそれを受け入れる心の両方が表れているように思われる。すべてが「無」となる死は恐ろしいものだが、音楽と共にあることができるならどれほど心強いだろう。音楽家の家庭に生まれ、自身もヴァイオリンを演奏し生涯音楽を愛したクレーの「ほねのみみ」に、音楽は聴こえているだろうか。安らかに死と向き合ったクレーには、きっと彼の愛した音楽が届いているはずだ。谷川の詩はそんな想像を掻き立てる。そして、クレーと同様音楽をこよなく愛した谷川の「ほねのみみ」にも、いつまでも歌が届いていればよいと心から願う。
音楽と詩を愛した画家と、音楽と絵画を愛した詩人が生み出した芸術の美しい融和を、ぜひ本書で確かめてほしい。
書き手:伊東愛奈