著者:中島らも 出版社:講談社 出版年:2020年(単行本は1991年)
世の中には多くの「依存症」がある。アルコール、ニコチン、ドラッグといった身体に明らかに有害なものから、スマホや買い物、さらには恋人や家族といった人間関係への依存まで。依存という言葉にピンとこない人でも、何かしらに「すがってしまう」感覚は思い当たるのではないだろうか。では、人はなぜ依存に陥るのか? その問いに真正面から向き合ったのが、中島らもの長編小説『今夜、すべてのバーで』だ。
本書は、著者自身のアルコール性肝炎による入院経験をもとに書かれた小説である。主人公・小島容(こじま・いるる)は、35歳のフリーランスのライター。仕事のプレッシャーと孤独から逃れるように酒に溺れ、ついには倒れて緊急入院する。物語は、入院生活や病院で出会う人々との交流を通じて、小島が自らの過去と向き合い、酒との付き合い方を見直しながら、社会復帰を目指していく過程を描いていく。
アルコール依存症という深刻なテーマを扱いながらも、本書は決して暗く沈んだ小説ではない。滑稽さと切実さが同居する独特のトーンで、読む者の心をじわじわと揺さぶる。なかでも印象的なのは、小島の「真面目に不真面目」な姿勢だ。病気について驚くほど詳しく、「ジアゼパムを処方してください」と自ら薬を指定するほどの知識を持つが、それもすべて「自分はまだ依存症じゃない」と思い込みたいがため。つまり、依存症を恐れて調べ尽くした結果、自分が依存症であることを見て見ぬふりしていたのだ。この皮肉な構図が、作品全体にブラックユーモアの奥深さを与えている。
読んでいて、はっとさせられる言葉にもたびたび出会う。たとえば、
「教養のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていない。『教養』とは学歴のことではなく、『一人で時間をつぶせる技術』でもある。」(p.157)
という一節。ここに、依存に陥る人間の心理が凝縮されている。自分の時間を健全に埋める術を持たない人間にとって、酒やギャンブル、そして今の時代でいえばスマートフォンやYouTubeが、心の隙間を埋める手段となってしまう。1991年に書かれたこの小説が、スマホ依存やSNS疲れが叫ばれる現代にもまっすぐ響いてくるのは、その普遍的な人間理解にある。
『今夜、すべてのバーで』は、「依存」とは何かを突きつけてくるだけでなく、それに抗いながらもどこか滑稽に生きる人間の姿を描き出す。重くて、可笑しくて、どこか切ない。そんな不思議な読後感が残る一冊だ。
書き手:伊東愛奈