BOOKLAB.書籍紹介 鬱の本

編者:屋良朝哉・小室有矢・今関綾佳 出版社:点滅社 出版年:2023年

 私はこうして書評を書くくらいには本が好きだ。読書は生活の一部といってもいい。それでも、本が読めなくなることがある。最近本を読んでいないことに気が付いたとき、「そういえば」と自分の心があまり調子のよくないことに思い当たる。心に元気がないときこそ、本が支えになってくれることは、知っている。知ってはいても、本に手を伸ばすことすらできない、どうしようもなく憂鬱で無気力な日もある。そんな、「本が読めない」という状況に心当たりのある人は、この本の背表紙の帯に書かれた「読めないときに」という言葉にきっと惹かれるはずだ。本が読めないときのための本。一見矛盾したコンセプトのこの本の魅力を今回はご紹介したい。

 本書『鬱の本』は、夏葉社の『冬の本』(2012年)という本にインスパイアされて作られた。『冬の本』は、84人の文筆家が「冬」と「本」をテーマに1000字程度の短いエッセイを書き下ろしたエッセイ集だ。それに倣って、『鬱の本』では84人によって書かれた「鬱」と「本」にまつわるエッセイが並ぶ。書き手は、本書の出版社・点滅社の代表を務める屋良朝哉氏が選出・依頼した人物で、町田康、東直子、山崎ナオコーラなどエッセイの名手に加え、アマチュアの文筆家やバンドマンなど幅広い顔ぶれである。

84編のエッセイに共通するルールはシンプルだ。ひとつは、「鬱」と「本」というテーマが含まれていること。もうひとつは一編が1000字程度で見開き1ページ以内に収まること。本書の「鬱」は、いわゆる「うつ病」の鬱に限らず、思春期の頃の鬱屈や、日常で感じるなんとなく鬱々とした気持ちなど、さまざまに解釈された「鬱」だ。そしてその鬱と本の関係も、書き手に委ねられる。鬱から救い出してくれる本だけではなく、鬱そのもののような本や憂鬱になると思い出してしまう本、鬱のときになんとなくそばにあった本など、さまざまな解釈の「鬱の本」が語られる。書き手の名前の五十音順で淡々と並べられたこれらのエッセイは、プロとアマチュアが混在し、文章の技量もスタイルも切り口もさまざまだ。だからこそ、読み手のさまざまな感情に寄り添う一編がきっと見つかる。加えて、どこからでも読み始められ、一編を数分で読み終えることができる本書は、気力のないときでも手に取りやすい。この多様さと手軽さが、本書の良いところだ。

さらに、鬱にまつわる本のガイドともとれる本書は、読み手を新たな読書の世界へと優しく導く。書き手の誰も、ある特定の本を強く勧めたりはしない。あくまで優しく、やわらかく、「こんな本がそばにあった」と教えてくれる。憂鬱で本を読む気分になれないときでも、こんな本なら手に取ってみてもいいかな、と思わせてくれる。最初に述べたように、本は心の支えになる。本書はいわば本の処方箋のようなものなのだ。もちろん、本書の文章自体が優しいため、紹介されている本を読むことができなくても、十分心が洗われる。

最後に、「読めないときに」というこの本のコンセプトについてもう一度考えてみたい。優しい言葉で書かれ、一編が短い本書は「本が読めないようなときでも、読みやすい」とも言える。一方で、本当に本が読めないとき、つまり本書の文章ですら読む気持ちになれないときでも、この本は寄り添ってくれるように思う。84人分84通りの「鬱」がある、ということをこの本の存在自体が教えてくれるからだ。悩みの種類は違っても、マイナスな気持ちを抱えて、それを乗り越えた人、あるいは乗り越えようとしている人たちがいるということを本書の存在から感じ取ったとき、心が少し軽くなる。そばに置いておくだけでもいい、お守りのような一冊だ。

書き手:伊東愛奈

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