BOOKLAB.書籍紹介 spring

著者:恩田陸 出版社:筑摩書房 出版年:2024年

 恩田陸の新刊はバレエを主題にした長編小説らしい、と聞いて『蜜蜂と遠雷』(2016年、幻冬舎)を思い浮かべた人は多いはずだ。国際ピアノコンクールを舞台に、4人のピアニストの葛藤や成長を描いた『蜜蜂と遠雷』は、直木賞と本屋大賞を史上初のダブル受賞し、「傑作」として多くの読者の心に刻まれた。恩田の手にかかれば、文字で構成された小説の世界にも、ピアニストたちの奏でる音楽がはっきりと聴こえてくる。言葉にされた音楽の美しさ、そしてそれを奏でる者たちが持つ、瑞々しくも苦味のある「才能」は多くの人を虜にした。

 そんな恩田が、バレエを舞台に「天才」を描いた本作『spring』では、萬春(よろず・はる)というバレエダンサー兼振付家が主人公だ。両性具有的な美しいルックスと、類まれなる舞踊と振付の才能、そしてつかみどころのないふわりとした性格と発想力で周囲の人々を魅了していく。春は8歳でバレエに出会い、15歳にして海を渡る。ドイツのバレエ学校でさまざまなダンサーと出会い、振付の才能を開花させ、コンテンポラリーの分野でバレエ界に衝撃を与える作品を次々と生み出していく。そんな半生が四人の人物の視点から語られる。その語り手とは友人でありライバルでもあるダンサーの純、春の振付のアイデアの源泉となった叔父の稔、オリジナルバレエの制作においてタッグを組むことになる作曲家の七瀬、そして四人目は春自身だ。三人の他者の視点から、春のおそろしいほどの天才性と人を魅了する力をこれでもかと浴びたあと、本人の視点から「天才はなにを考えているのか?」が明かされていく。天才は何を見て、何を考えて踊っていたのか。この視点の転換が、本作を鮮烈なものにしている。

 また、『蜜蜂と遠雷』において文章で音楽を「聴かせた」恩田は、本作では踊りを「見せる」ことに挑んでいる。春の創作したオリジナルバレエの数々は、動きや空間、光や呼吸の感触すら喚起するような言葉で描かれており、読者は読みながら舞台の上に立っているかのような錯覚に陥る。バレエの専門用語はほとんど登場せず、普段バレエに親しくない人でも映像が浮かぶように書かれている。聴覚芸術だけではなく、視覚芸術も融合したバレエを描くことで、恩田は春と同様創作者としての立場から自分自身を超えようとしたのかもしれない。その試みは成功したと言えよう。
 芸術の世界では、天才は「悪魔に魂を売った」、「芸術の神に愛された」などと表現されることがある。天才とは何か。芸術の神や悪魔は存在するのか。『spring』は、そんな問いを私たちに投げかける。美しいだけではない、恐ろしいまでに生々しい才能の物語だ。

書き手:伊東愛奈

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