おぞましさと戯れる少女たち:フェミニズム美学から読む日本現代美術の少女表象

著者:山田萌果 出版社:青弓社 出版年:2026年

 おぞましい少女たち―。スタンリー・キューブリックによるホラー映画『シャイニング』 (1980)  でダニーの元に現れる双子の少女は映画作品にとどまらずホラーの代表的なアイコンとして人々を魅了し続けている。また、ヤン・シュヴァンクマイエルの映画作品『『アリス』(1988) や『オテサーネク』(2001) でも少女は物語を撹乱するような立場で作品世界になくてはならない存在だ。「異様で軽やかな少女たち」は人の数だけ作品が思い浮かぶのではないだろうか。どこか危うく、社会の中に引かれている(と思い込んでいる)境界を軽々と飛び越えるような少女の姿に対して、私たちは不道徳や後ろめたさを覚えながらも惹きつけられてきたのかもしれない。

 本書は日本現代美術における少女像について、フェミニズム美学から彼女たちを捉える。我が国における少女という属性や表象の立場を「アブジェクシオン」という不気味さや不安定さに近い概念や子どもや児童文学研究者・本田和子の少女論を通じて紐解き、とりわけ2010年以降の日本における少女を描いた作品にこれまで欠けていた視座を補うものだ。

 本文で取り上げられる作品はこれまで「美術史」という俎上で十分に取り上げられてこなかった。あるいは取り上げる手段を十分にもっていなかったとも言える。歴史は社会の軸となりうる。時間の流れは誰の上にも等しいが、歴史の様相は語り手の視点によってどうしても偏りが生じる。美術史も例外ではない。地域や時代、作品形態にもよるが「美術史」と言われたとき、その中身は「西洋美術史」であることが多く、そしてその中で語られる作品の作者や批評者は大部分が男性である。作品の巧拙を言いたいのではない。集団の属性が偏れば偏るほど、そこからこぼれ落ちた人々や作品、その意義を再考することは難しくなる。人文の営みは多面体だ。人の数だけ見方も解釈も試みも存在し、歴史は再解釈を繰り返していく。美術史も例外ではなく、フェミニズムという視野が確立されてきた今、美術史も今まで補われてこなかった部分に光が当たろうとしている。

 美学と聞くとたじろいでしまうかもしれない。だが本書の登場はもっと気楽に受け止められるものであってほしい。心のどこか、人生のどこかで私たちの頭にふわり、ひんやりと足を踏み入れてきた美術の中の少女たちに少しでも心惹かれたことがあるなら本書を手に取って開く準備は十分できている。そうして彼女たちが体現してきた不安定さや痛みを読み進めた先で、女性という生き方が背負ってきたものを描き出した芸術家はもちろんのこと、その作品に魅せられたかつての自分に向けて「ありがとう」という慈しむ言葉が思わず口をつく。

参照
スタンリー・キューブリック (監督). (1980). 『シャイニング』[映画].ペレグレン・フィルム、ホーク・フィルム
ヤン・シュヴァンクマイエル (監督). (1988). 『アリス』[映画].コンドル・フューチャーズ
ヤン・シュヴァンクマイエル (監督). (2001). 『オテサーネク』[映画]. アタノール、バランデフ・ビオグラフィア、フィルムフォー、イルミネーション・フィルムス

書き手:上村麻里恵

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