著者:川北稔 出版社:岩波書店 出版年:1996年
面白かった話を何個か紹介しよう。まずは砂糖がかつて「薬」だったという話だ。17世紀まで、砂糖はペストにさえ処方された万能薬だった。甘味料としてだけでなく、保存料・香料・装飾品にも使われていた。動植物由来のものがすべて薬や食料の候補だった時代、砂糖はその中でも飛び抜けた「スーパーアイテム」扱いだったわけだ。そして面白いのが、神学上の砂糖の扱いである。12世紀のスコラ哲学者・トマス・アクイナスは、あの大著『神学大全』の中でこんな見解を示した。「砂糖は薬であるから、断食日に食べても問題ない」。かつてのキリスト教徒の立場になれば、断食日に食べれる喜びと、そんなことしていいのという疑問は浮かび上がるが、まぁ一言で言えば「神学的お墨付き」である。そしてその認識が後世に思わぬ影響を与えた。16〜17世紀にヨーロッパで生活革命が起き、様々な場所から食品・綿織物・嗜好品が怒涛のように流入した。その大きい変化はしばしば宗教的・道徳的に悪とみなされた。にもかかわらず人々が砂糖を前のめりに受け入れていった一因に、彼の一文があったのかもしれない。
ところで砂糖がヨーロッパに初めて登場したのは、紀元前4世紀にアレクサンドロス大王の遠征隊がインドで「蜂なしに蜜を作る葦」を目撃したときだとされる。砂糖を初めて口にした時、その素敵な形容を思いつく自信はない。そこから本格的にヨーロッパへ広まるきっかけを作ったのは7世紀のイスラム教徒たちで、栽培技術・製糖技術ごと地中海世界に伝えた。コロンブスが新大陸にサトウキビを持ち込んだのはその延長線上にある。そして著者が指摘するのは、こうした「有用な動植物を求める欲求」が大航海時代の重要な推進力のひとつだったという点だ。「金のなる木」と聞けば、私たちは空想上のもので、あくまでそれが形容だと理解する。けれどかつては、海の向こうには絵空事が現実世界にあると信じて疑わなかったのだろう。植物園での研究も、博物学の発展も、その文脈で捉え直すことができる。私だって、金のなる木の苗をもらったら、大切に大切に育てる。本気で。
また17世紀の英国では、砂糖入り紅茶は貴族やジェントルマンだけが飲める超高級品だった。高価な薬を、わざわざ高価な紅茶に溶かして飲む——それ自体が英国人にってはステイタスシンボルだったのである。彼らが集まったのが「コーヒーハウス」という社交の場で、身分の壁を多少超えた自由な議論が大いに交わされた。文化人や科学者もここで触発され、新聞・雑誌などの情報産業も育ち、証券取引さえここから生まれていった。現代のスタートアップのコワーキングスペースみたいなものだと思うと、急に親近感が湧いてくる。もちろん、熱狂は暴走もする。コーヒーハウスを舞台に南海会社——スペイン領植民地への奴隷・工業製品の販売を手がける会社——の株価が投機的に高騰し、他の企業も軒並み上がって、あっけなく崩壊した。俗にこの出来事はサウスシーバブルと呼ばれる。バブルの構造というのは、時代が変わっても驚くほど似ている。人々の盲目的な過信は、いつも最悪な形で発露する。
それからたった150年後の19世紀、砂糖入り紅茶は労働者の生活必需品になっていた。上流階級の習慣を真似たい、という欲望と、生産コストの低下が重なった結果だ。「イギリス風朝食」は台所がなくともお湯さえ沸かせれば完成し、カフェインと糖分による即効性のエネルギーを供給する。産業革命期の労働者には、そういう手軽なカロリー源が切実に必要だった。今日でもイギリス人の摂取カロリーの15〜20%が砂糖によるものだというデータは、その時代から続く食習慣の根の深さを静かに示している。
しかし、この「甘さの民主化」には重い代償が伴っていた。サトウキビは適度な雨量と温度を必要とし、土地を痩せさせ、大量の勤勉な労働力を必要とする作物だ。結果、プランテーションの拡大につながり、アフリカからの奴隷貿易が不可欠なものとなっていった。
砂糖の歴史は、欲望・宗教・科学・経済・暴力が複雑に絡み合う、人類史の縮図だ。この一つの視点から、人間の普遍的な部分を覗くことができる。甘さ、という代え難い快楽と引き換えに、多くの人々が犠牲にされてきた事実は特にそうだろう。砂糖は気づかぬ間に、様々なところに多く潜んでいる。あれほど美しい純白も、コーラに溶けてしまえば、その輝きの欠片も見えないように。私たちも普段見ないようにしている後ろめたい事実がたくさんあるだろう、それを改めて突きつけられたような経験だった。それは決して甘くはないけれど、私にとっては不可欠なものだった。
書き手:高橋龍二

