作家:戸谷洋志 出版社:講談社 出版年:2024年
メタバースは、インターネットが日夜発展していく中でここ数年特に期待を寄せられているもののの一つだ。
そもそもメタバースとは、コンピュータの中に構築される仮想的な空間を指し「meta(超越)」「universe(宇宙、世界)」を組み合わせた造語である。現実の物理世界を超えた世界、現実の自分ではなく〈その世界の自分〉を新たに創造できる世界。そしてメタバースを可能にする手段が、VRやARといった、現実を仮想空間と繋げる技術だ。コンピュータが発明されて以来、SF作品やゲームではアイデアは既に登場していたが、実現の可能性が出てきたのはこうした技術が進歩した2000年代、特にここ10年の話になる。
著者の戸谷によると、企業だけでなく政府もこの技術を用いた政策を構想しているという。世界のどこにいてもメタバースにアクセスできるという技術によって、都会と地方の格差是正を促すというものだ。
しかし一方で、メタバースに含まれる問題点については議論されていないことも多い。本書では、ドイツ現代思想を専門とする戸谷が、メタバースや仮想現実に対する様々な思想家たちの意見を紹介し検討していく。
例えば彼は、メタバースの問題点の一つに、ジェンダーロールの強化を挙げる。
メタバースや他者と交流可能なオンラインゲームなどでは、しばしば「もう一人の自分」「(現実世界とは異なる)新しい自分」になれることがメリットとして数えられる。現実の自分とは異なる外見、性別のアバターを作ることができるためだ。これは一見、物理的な現実世界におけるジェンダーからの解放を意味するように見えるが、実はそうではない。あるデータによると、男女共通して約8割が女性アバターを使うという。
男性が現実と異なる性を選択することは、一見自由なアイデンティティの表現に見えるが、このこと自体が男性に対する男性らしさの抑圧を表している。女性アバターを用いる男性の多くは、本当に女性になりたいわけではない。女性は感情表現豊かであるべきだというジェンダー規範を利用することで、コミュニケーションがしやすくなるからだ。男性よりも女性の方が会話しやすく打ち解けやすいという人々の感覚を利用することは、その人が差別やジェンダーロールの再生産を念頭においていなくても、それを強化してしまう。
戸谷はジジェクやアーレントなど現代の哲学者たちの思想を紹介しながら、ジェンダー以外にも様々なメタバースの問題点について論じる。
その多くに共通するのが、メタバースの存在は逆説的に、現実の物理世界の特権性を強調することになるという帰結だ。メタバースは、魅力ある最新技術であり今後さらに発展していくだろうが、決して不便で制約の多い現実を超越する理想郷ではない。現実世界をベースに置くからこそ、現実世界の問題点をも映し出す鏡になり得ると、戸谷は警鐘を鳴らす。
書き手:せを
今回をもちまして、せを(小松貴海)の書評執筆を最後とさせていただきます。2022年12月から途中加入という形で担当させていただき、名義変更を経て約2年4ヶ月と長い間続けさせていただけましたのも、BOOK LAB.と名寄新聞社様の社員の方々、読者の皆様のおかげと存じます。
書評を通して、文章によるコミュニケーションの楽しさや難しさを学ぶことができ、本当に貴重な経験を得られました。
長い間、誠にありがとうございました。